油長酒造株式会社 | 風の森、鷹長、日本清酒発祥の地から

奈良酒

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奈良酒


日本清酒発祥の地と言われる、奈良。

現在の日本酒の製造技術の根源となる技術は、室町時代末期の奈良で確立されました。

平安時代には朝廷直属の酒造組織が担っていたお酒造りの技術が室町時代にかけて民間の造り酒屋や、奈良、河内をはじめとする大寺院に移ってきました。
中世の時代、奈良の興福寺、東大寺、正暦寺などの大寺院は奈良時代や平安時代に国によって建てられた国立の寺院であり、教育機関や政治機関のような役割を担っていました。室町・戦国時代では応仁の乱以降、各地に戦国大名が勃興し、それぞれが独立国家のようになっていたので、大寺院は朝廷や幕府からの財源に頼ることができず、貨幣経済の発展とともに寺院も経済的措置を講じなければならなくなりました。
そこで寺院経営のための財源調達の手段の一つとしてお酒造りが行われていました。

日本初の民間による醸造技術書とも言われる『御酒之日記(ごしゅのにっき)』(1489年or1355年)には、「御酒」と言われた一般的なお酒つくりの方法の他に、『天野酒』や『菩提泉』と言われるお酒のつくり方について述べられています。当時、寺院でつくられるお酒を僧坊酒(そうぼうしゅ)と呼んでいました。
「天野酒」とは、大阪府河内長野市天野町のある真言宗御室派の天野山金剛寺でつくられた僧坊酒です。「菩提泉」は奈良市東南の郊外、菩提山町にある菩提山正暦寺でつくられた僧坊酒のことです。「菩提山壺銭」という記述が『経覚私要抄』(嘉吉4年〔1444〕)に見られ、当時の興福寺 大乗院の有力財源となっていたことがわかっています。15世紀中期は、都の公家への贈与なども行われており、天野酒とともに名声を博した奈良酒でした。

お寺で財源確保のためにお酒造りが行われる中、人手があり、知識も集約するような場所で、室町時代に僧坊酒は「諸白造り」というお酒へと進化を遂げます。その「諸白造り」を確立していく過程で、現代の酒造技術の礎となる5つの要素を生み出しました。

「白米の使用」
まず、1つ目は白米を用いたことです。現在は当たり前のように、私たちはお酒造りをする際に米を精米します。米の外側のたんぱく質や油分を取り除き、発酵をコントロールしやすくキレイな酒質を目指すからです。玄米ではなく白米を使用することで、美味しいお酒を醸しはじめていました。
室町時代はまだ足踏み式の唐臼で精米していたと考えられますが、江戸時代になると、お酒造りの主産地が兵庫の灘にも拡大し、灘では足踏み式の精米から水車精米に切り替えられました。これにより大量の精米が可能になった上、高精白米が得られるようになりました。

「上槽」
2つ目の要素は「上槽」です。濁ったお酒(どぶろく)と澄んだお酒(清酒)の圧倒的な違いは「上槽」という、「搾る」というプロセスがあることです。布袋にもろみを入れて、畳んで圧をかけて布から染み出てきたお酒が「清酒」。そして、布袋の中に残ったものが「酒粕」。上槽することでお米の組織やお酒を発酵させる酵母という菌が酒粕の方に残ります。染み出てきたのが清酒で、これで発酵はだいたい止めることができます。

「火入れ」
上槽されて澄んだお酒は、火入れ(加熱)をすることにより酵素の働きを止め、一層安定性を得ることができます。酵素というのは麹がつくりだすもので、お米を溶かして糖分に変えるたんぱく質のことです。火入れ前のお酒にはこれがまだ中に残っており、時間とともに味が変化していきます。この働きを火入れによって止めることで、美味しさをキープできるのです。
火入れをしたお酒は樽に入れられ、これが流通性の拡大につながり、大寺院で造られた高品質なお酒は、遠方まで流通し、その名声を高めていきました。

「酒母」
4つ目の要素は「酒母」という概念の確立です。これはお酒づくりをする上で必要な酵母を育てる行程です。酵母を育てるために蒸したお米と、麹と水を加えて、それらを混ぜたところに酵母を入れて、まず小さなお酒づくりを小さな容器で行い、元気な酵母をたくさん生産するというのが現代の酒母つくりです。
酒母造りは大きな木桶を用いる以前の小さな器でお酒を造るときには必須の技術というわけではなかったはずですが、醸造容器が木桶を用いるなどして大きくなるにつれ、安全にお酒を醸造するために必ず行われるようになったと考えられています。甕壺や小さな桶で美味しいお酒を先に造り、これを発酵のスターターとしたのが酒母の概念のはじまりです。

「段(とう)方式(段仕込み)」
5つ目の要素は段(とう)方式(段仕込み)です。現代の清酒つくりの仕込み方式は「酘(とう)方式」と呼ばれます。酒母を造り、それに原料である蒸米、米麹、水を入れて、混ぜて時間をおいて沸いてきたところにまた蒸米、米麹、水を入れる、そしてまた、次の日に蒸米、米麹、水を入れるという、「初添」「仲添」「留添」の3回に分けて投入し、発酵を進める三段仕込み法(三段掛法)を行っています。このように3回に分けて発酵のようすを確認しながら、原料を酒母の上に足していくことで醪の容量を拡大させていきます。この技術も諸白つくりの中で進化したものと考えられています。容器が小さかった時代は1回で原料をすべて混ぜる程度の規模だったものが、容器が大きくなるにつれて、少しずつ原料を入れて拡大生産していく時代になったといえます。

奈良が「日本清酒発祥の地」と言える理由は、このように奈良で現代の清酒醸造技術の基礎が誕生し、奈良から伝わり、各地で進化し広がっていったことが文献により明らかであるからです。

この様に大寺院経営のための財源調達の手段の一つとしてのお酒造りがどぶろくの様な古いスタイルの醸造酒を、現代の様に品質安定性の高い流通可能な清酒に進化させていったと考えられています。

現在、私たちは奈良の先人の技術を礎に、現代だからこそできる酒造りを行い、後世の人々にそれを伝えたいと考えております。

鷹長では、菩提山正暦寺をはじめとした奈良の大寺院が確立した技法・製法を伝承し、奈良酒の伝統格式を後世に伝えてまいります。
一方、風の森では、現代の技術を常に取り入れ伝統を改変し、今までにはない魅力的な味覚体験により、新たな伝統を創造してまいります。

この地で、酒造りを通じて古より続く奈良の風土や文化を守り、それを更に前進させながら後世へと受け継いでゆくことが、私たちの使命だと考えております。

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